主観と客観(その9)
※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)(その7)(その8)からの続き。


 これまで主観客観について説明して来たが、ここでそれらの区別がついていないことに対する問題点について記載しておきたい。

7.主観と客観の区別がついていない問題点

(1).正しい結論を出せない

 
主観と客観の区別が使かない、それは、
自分の好きな時に主観で考え、自分の好きな時に客観で考える。
を意味する。より具体的には次のような思考形態となる。
<基本的思考形態>

客観で考えた結果が都合
良い → それで終了
客観で考えた結果が都合悪い → 主観で考えて都合の良い結論を出す


<他人の考えに対する思考形態>

○他人が客観で考えた結論が自分に都合良い → 賛同
○他人が客観で考えた結論が自分に都合悪い → 主観で考えて批判・否定


○他人が主観で考えた結論が自分に都合良い → 賛同
○他人が主観で考えた結論が自分に都合悪い → 客観で考えて否定できた時は、
「客観的に考えろ!」と批判。そうでなければ、主観で考えて否定・批判。


(注)主観で考えて、どの程度まで正当化できるかは、個人によって異なる。正当化に失敗した場合は、自分に都合の悪い結論でも受け入れることになる。
 このように、主観客観の使用は自由自在。思考する上での基本的指針は、「自分に都合が良いか悪いか」である。

 そして、自分が主観客観の区別が付いてにも係らず、「自分は客観的に考えることが出来る人間だ」と思い込んでいる。

 何故なら、
「自分は客観的に考えることができる人間か?」という問いを考える際も、「自分は客観的に考えることが出来る人間だと思いたい」といに従って主観で考え、自分に都合の良い結論を出すからである。


 このような考え方の問題点は、当然ながら、
正しい結論を出せない。
である。

 結局は、自分に都合が良いか悪いかで結論を決めているだけ。出した結論が正しい場合もありえるが、それは偶然でしかない。


(2).誤りを認められない・誤った結論を保持し続ける・

 そのような人が誤りを指摘された場合、
「誤りを認めたくない」というに従って主観で考え、その指摘を否定してしまうので、誤りを認められずに、誤った結論を保持し続けることになる。
誤りを認められない・誤った結論を保持し続ける

 そして、生きれば生きるほど、脳内はそのような誤った結論だらけになり、年齢相応の分別も知性も持ち合わせていない恥ずかしい人間へと退行して行くことになる。

 このような、主観客観の区別の付かない人が、カルト宗教やおかしな思想・主義にハマったら悲惨である。

  
「自分の信仰している宗教が誤りだと認めたくない」
  
「自分が正しいと思っている思想・主義が誤りだと認めたくない」

そのようなでもって考えるので勝手に自縄自縛して、中には一生、誤りを認めずに居直り続ける場合もある。

 いわゆる思考停止状態。それには2つのパターンがある。
@考えない。言われるがまま。

A考えるには考える。しかし、都合の良い結論を出す方向にしか考えない。誤りであることを認めない為に考える。

 @は、文字通りの思考停止状態。カルト教団から言われることは、そのまま受け入れ、正しいとされることは正しい、誤りだとされることは誤り。言われることに対して疑うことをしない。

 Aは、考えるのは考えるのだが、誤りであることを認めない為に考える。他から批判されたり、説得されたりしても、
「自分の信仰している宗教は正しい」という結論からは一歩も動かないので、その意味で停止状態である。

 カルト教団等に居座り続ける人は、この2つのパターンの思考停止状態を使い分け、必死になって信仰を守り続けることになる。


 多くの人は、主観客観の区別がついていない。

 そして、それは通常の生活では、小さな過ちを犯し続けるだけですむ。

 しかし、カルト宗教等にハマれば、周りが道理も常識も無視して主観で考える人ばかりであるのでその影響を受け、かつ、
「自分の信仰が正しいと思っていたい」という自分の人格・存在意義を支える為の強い欲望が生じることになる。

 結果、
「主観と客観の区別がついていない」という問題点がより強力に顕在化し、普通だった人が、見た目にもおかしく感じる人へと変貌してしまうことになる。

 そして、今度は、
「社会に害をなす」と言う、大きな過ちを犯し続けることになるのである。




 ※(その10)に続く。



2017.01.17新規

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