悟りと魔境(その3)
(その1)(その2)からの続き


 当記事では魔境に関連して、自称霊能者たちの神秘体験というものを見て行きたい。



3.自称霊能者たちの神秘体験

 以下では、自称霊能者たちが体験したと主張する神秘体験を見て行く。

 ただし、その神秘体験が完全にウソでデッチ上げの場合もありえると思うが、ウソか否かなど基本的に証明しようがない為、
「少なくとも本人の主観では『本当にそのような体験をした』と思っている」という前提で話をして行きたい。


(1).中丸薫氏のケース

 中丸薫氏は、神様や宇宙人はもちろんのこと地底人ともチャネリングできる自称霊能者。フォトンベルトなるガセネタにまんまと騙され、2012年12月末にアセンションが起きると主張していた。

 この中丸薫氏が体験した神秘体験は以下の通りである。
『2012年の奇蹟』 (中丸薫/あ・うん/2007.7) <P.52-55>
1976年3月11日。心に響いた言葉

◆「光の柱」が貫く

 私はアラビア海の白浜の海岸で、この世での自分の使命について自問していました。

 「人間の使命とはいったい何だろう」
 「何のために私たちはこの世に生れてきているのだろう」
 「私の使命は何なのだろう」

 この三つのことを心に問いかけながら
瞑想する姿勢をとっていました
 その時、目の前のアラビア海を真っ二つにするように、ものすごい光の柱が「バーン!」という轟音とともに落ちてきたのです。稲妻です。続いて、向かって右側のほうのオマーンとの国境の山に、山を切り裂くような稲妻が走りました。
 そして、まわりじゅうに次々とカミナリが落ちはじめて、近くにあった木もバリバリッとものすごい音を立てて割れました。
 それでも、私は少しも「怖い」とは感じませんでした。ただ、身につけていた2カラットくらいのダイヤの指輪と一文字に六個の小ぶりなダイヤがついたもの、そしてロレックスのダイヤがついた時計をしていたのですが、その3つが窮屈に感じられて、なんとなくはずしていました。
 指輪2個と時計をそばに置いて、さらにこう考えました。
「もし、私に使命があるならば、神は私の命を助けてくださるでしょう。もし、私に使命が何もないならば、私の命をすべてあなたの御手に委ねます」
 と託身する気持ちになったのです。
 次の瞬間、ふと上を見ると、
直径50センチくらいの光の柱が真上から私の頭上に落ちてきました。すごい衝撃とともにバリバリッという轟音が轟き、後ろのほうの髪の毛がすべて落ちてしまったのではないかと感じたほどでした。
 カミナリが直撃したのであれば間違いなく即死でしょう。ところが、それどころか
次の瞬間、私は心が黄金の光に満たされたようになり、足を組んだまま浮き上がるように感じました。そして、眉間の「第三の目」があるといわれるところに、レーザービームのような、ダイヤモンドの輝きのような光が通ったのです
 ああ、これが「霊道」なのかなと思いました。
不思議な心地よさに包まれて、天上界に行くとはこういう感じなのだろうか、と、えもいわれぬ心地よさに包まれました。 

(注)文字に色を付けたのは管理人(以下同様)
 中丸氏のケースでは、周りに激しくカミナリが落ちる中で瞑想していると、光の柱が頭上に落ちてきて、
「心が黄金の光に満たされたようになり、足を組んだまま浮き上がるように感じ」
「眉間の『第三の目』があるといわれるところに」、「ダイヤモンドの輝きのような光が通」
「不思議な心地よさに包まれ」
というような体験をしたらしい。

 これは、結論から言うならば、ただの魔境であろう。

 
このような神秘体験をしたところで、フォトンベルト等のガセネタにまんまと騙され、真贋を見抜くのには全く役に立たない上に、自分がガセネタを真実だと思ったら、コンタクトしている神様や宇宙人はそれを否定してくれるどころか、同じように真実として扱ってしまう

 所詮、中丸氏がチャネリングしていると思い込んでいる
神様や宇宙人の言葉など、「神様や宇宙人ならどのようなことを言うか」ということを自分が想像した程度に過ぎないものであり、かつ、自分の内で完結していて、外から来た智慧・知識など無いのである。
※その他、中丸薫氏のデタラメさについては、以下のページを参照
中丸薫さまにツッコミ!
反省できない人たち(その4)
反省できない人たち(その5)


(2).大川隆法氏のケース

 宗教団体「幸福の科学」を主宰する大川隆法氏は、自らを「釈迦の生まれ変わり」、「地球系霊団の至高神エル・カンターレ」だと称している人物である。


 大川隆法氏は、自分の前世である釈迦(あくまで自称)の悟り体験について次のように記載している。
『太陽の法』 (大川隆法/角川文庫/1990.8) <P.159-160>
 本来、九次元宇宙界の悟りとは、つぎにあげる三つの条件を満たさねばなりません
 一、どのような人にも対機説法ができるような、縦横無尽な法を悟っていること。
 二、創世記についての悟り、すなわち、
宇宙のなりたち、地球の歴史についても悟っていること
 三、四次元以降の、多次元世界の法則について悟っていること。
 一の対機説法は、
釈迦の得意とするところでした。二の創世記の悟りは、菩提樹の下で悟りをひらき、自分の霊体が無限大に宇宙にひろがった宇宙即我の神秘体験をしたときに悟ったものです。三の宇宙の理法、実在界のルールの悟りは、因果の法則とか、カルマの法則によって表現されていたようです。
 このように釈迦は菩提樹の下で悟りをひらいた時、
「自分の霊体が無限大に宇宙にひろがった宇宙即我の神秘体験をした」
そうである。

 この体験などは、(その2)で見た
魔境の、次の体験そのままのものである。
○宇宙と一体になるような気分になる。

 また、別の書籍『悟りの極致とは何か』では、「宇宙即我」の境涯には次の三段階があるとし、その上の段階の悟りもあるとしている。
『悟りの極致とは何か』 (大川隆法/幸福の科学出版/1992.7) <P.190-196> (※要約)
○「宇宙即我」(第一段階) ・・・ 肉体をこの地上に置きながら、魂がこの肉体を離れ、限りなく上昇し、拡大して、地球というものを眼下に見下ろし、地球が小さな球のように見える境地。

○「宇宙即我」(第二段階)
 ・・・ 銀河即我。自分の意識が銀河系の大きさまで広がって、地球が小さな細胞に見える境地。

○「宇宙即我」(第三段階)
 ・・・ 宇宙の中心部から神のエネルギー、光というものが送り出され、銀河という心臓を通り、さらに太陽系の方に力強く送り出されて、太陽を中心として地球や金星やその他の惑星につながる大動脈を流れてゆく姿が見え、宇宙が大きな目的を持った一つの生き物のように見える。

○「神即我」 ・・・ 「宇宙即我」のさらに上の境地。大宇宙そのものがひとつの球体に見え、そのような球体がさらに大きな大宇宙の中にいくつも浮かんでいるのが見える。

 以上のように、悟りについて解説をしている大川隆法氏であるが、実際のところ、自身が悟りなど開けていないことは明白である。

 例えば、上記に引用した『太陽の法』では悟りの条件の一つとして、
「宇宙のなりたち、地球の歴史についても悟っていること」をあげているが、大川隆法氏が主張する地球の歴史は、存在などしなかったムーやアトランティス、レムリア等が登場するデタラメなものである。

 所詮、真実とは程遠く、
オカルト系やトンデモ系の書籍の影響を受けた上で、自分の想像を膨らませただけのフィクションに過ぎない(*)。
(*)詳細は、以下の記事を参照
○「『超古代文明』にツッコミ!
○「『超古代文明の変更点』にツッコミ!
 また、例えば、元妻に対する次のような発言なども、分かり易い例である。

  「あまりの汚さで、ゴキブリ館のような所」 (※元妻が結婚前に住んでいたマンションについて)
  「一ヵ月間洗っていない下着の山がある」 
(※同上)
  「便器カバーの裏側にびっしりと跳ね返りが付いている」 
(※同上)
  「かなり口臭の激しい人だった」
  「もう、倒れそうになるぐらい臭った」

 
悟りを開いた仏陀どころか、小学生の悪口のような内容。
 仮にこれらが事実だとしても、このような内容を書籍に記載して公にするなど、
もはや良識ある大人ですらない(*)
(*)詳細は、以下の記事を参照
「嫁の過去世変更」にツッコミ!(その1)
「嫁の過去世変更」にツッコミ!(その2)
「嫁の過去世変更」にツッコミ!(その3)

 所詮、魔境に至って、「悟った」と勘違いしているに相応しい程度の人格であると言えよう。

<参考>
 「釈迦が宇宙即我の悟りをひらいた」などと言い出したのはGLAの高橋信次氏が先であり(※『人間釈迦1』(高橋信次/三宝出版/1980.10)、大川隆法氏が上記のようなことを言い出したのもその影響だと思われる。

 また、当然ながら、釈迦自身は、悟りを得た際にそのような体験をしたなどとは語っていない。

 仏典によって伝えられているのは、悟りを邪魔しようとするマーラ(魔神)から様々な誘惑を受けたという話であり、その体験が言わば魔境で、それに打ち勝ったからこそ悟りを開くことが出来たと言えよう。





 続いて(その4)では、魔境を悟りだと勘違いしたと思われる例として、オウム真理教のケースを見て行きたい。



2014.08.12新規

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