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『宇宙からの大予言』 (松原照子/現代書林/1987.1) P.42-43 9月初めの暑い日(注)、眠りかけると、ブルーグレーのおばあちゃんが、やって来ました。 「約束は守りましたよ」 と、ひとことだけ言って、すぐに消えてしまいました。 ■黒い法衣の僧侶 「悩むことは、欲があることで、ああしたいこうしたい、こうもしたい、こうもなりたいと思うからです。人間に許される欲は、生きたいという欲だけです」 ブルーグレーのおばあちゃんと一緒に訪れるようになった黒い法衣の僧侶の言葉を、私は生涯忘れないでしょう。 少しずつ私の名が知れるようになると日ごとに相談者が多くなり、昼間からお店に缶詰状態という日が続くようになりました。そして、私自身も悩み始めました。どうしていいのかわからない事態がつぎつぎに起き、意気消沈していたときに、救ってくれたのが、この言葉です。 ブルーグレーのおばあちゃんと黒い法衣の僧侶は、たびたび現れますが、いつも決まって5時の鐘音の前に姿を消します。私の5時消灯の習慣も、このふたりの時間割に準じてのものなのです。 ※管理人注:文字に色を付けたのは管理人(以下同様) (注)P.38の「1982年春のことです」以来、年の記載はないので、1982年のことであろう。
『宇宙からの大予言』 (松原照子/現代書林/1987.1) P.44 (※上記からの続き) 「やっと心が決まりました」 1984年7月の中旬です。久しぶりにブルーグレーのおばあちゃんが訪ねて来ました。ブルーグレーのおばあちゃんの後ろに、5、6人の方が立っています。私は、そのとき、あまりの人数に、異様な気配を感じました。 「書きなさいと言ったのに、なぜ書かなかったのですか」 いつもはやさしいブルーグレーのおばあちゃんが、怒り顔です。
『宇宙からの大予言』 (松原照子/現代書林/1987.1) P.44-45 (※上記からの続き) 後ろの方がたの中に、私は初めてみる口ひげと顎ひげのある50歳ぐらいの、やせた西洋人を見出し、その方に救いを求めました。 「仕方がありません。僕もそうでした。僕たちは代表で来ているのです。人には逆らうことのできぬ流れがあり、逆らおうとすればするほど流されるものです。仕方のない流れ、いま、あなたはそのときなのですよ」 その男性は、いとしいとばかりの目で見てくれました。ほかの黒の法衣の僧侶たちも、やさしい目を向けてくれています。なのに、ブルーグレーのおばあちゃんだけは、怖い目でした。 「ごめんなさい」。気がつくと、私はあやまっていました。 「おばあちゃん、私はいったいどうすればいいの」。「書きなさい。書くのです」。「いったい、何を」。「見たことを書きなさい」。「人が信じてくれないわ」
『宇宙からの大予言』 (松原照子/現代書林/1987.1) P.45 (※上記からの続き) 「わかる人には、よくわかります。そうして世界を歩きなさい。あなたが自分で不思議だと思えるくらい、世界の言葉は、あなたにわかるはずです。そうして、世界をひとつにしなさい。けっして、宗教団体という名のものは、作ってはいけません。世界に宗教団体が100あれば、あなたが作ると101個になるだけです。101個目ではなく、その宗教団体の上に立つ動きを、あなたがしなければ、地球を救えません」
『宇宙からの大予言』 (松原照子/現代書林/1987.1) P.48 私は、ブルーグレーのおばあちゃん率いる皆様に見せられたこと、聞かされたことを『恐怖の大予言』と称する小冊子にまとめ、自費出版しました。1985年10月のことです。 その後、これを読んでくださった多くの方がたからお便りをいただき、私は、意外なことに気がつきました。
ん?ナンカ、初登場エピソード改変のヒミツがちょっと見えて来たゾ。