主観と客観(その11)
※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)(その7)(その8)(その9)(その10)からの続き。

8.主観は先天的、客観は後天的

(3).「偽客観を取り入れる人」は、どのように取り入れて行くか

 「偽客観を取り入れる人」がどのように、偽客観を取り入れていくか。より具体的に説明する為、
「自分の誤りを認めたくない」というに絞って見て行こう。

 このの前提には、まず、
「他人から自分の意見を否定された」という状況がある。そして、その否定は客観的に考えて正しい。

 ならば当然、自分の誤りを認めなければならないのだが、そうすると
「自分の誤りを認めたくない」というは実現できない。よって、このを実現する為には、客観的に正しい「否定」を否定し返さなければならない。

 そこで登場するのが偽客観である。

 例えば、重箱の隅をつつくような議論だね」と言い返したとしよう。

 実際には、主たる議論から外れた、どうでも良い点を指摘されたわけではない。
 主張を支える大黒柱を完全否定されたにも係らず、このような反論をすることによって、相手からの否定を否定し返す。そして、後は、相手がどう言ってこようが否定し続けるだけである。

 そうすれば、
「自分の誤りを認めたくない」というを実現できるし、一見、まともに議論をしているように見えるので、自分の中では、「ワケの分からないことを言っているのは相手だ」と正当化して自己欺瞞することも出来る。

 実際は、全く議論として噛み合っておらず、
「ワケの分からないことを言っているのは自分なのだが、「偽客観を取り入れる人」は、まともな議論をして正しい答えを導き出すことが目的ではない。
 自己の
を実現することが目的なのであり、単なる自己満足の為なので、それっぽく見える否定で十分なのである。

 ただ、毎回毎回、この、重箱の隅をつつくような議論だね」というフレーズだけで否定し返しているのでは芸が無いし、バカっぽく見える。

 よって、「偽客観を取り入れる人」は、似たような、相手の意見を全否定出来るフレーズを取り込んで行くことになる。
例えば次のようなものである。
「牽強付会だね」 (※牽強付会=こじつけ)
「根拠脆弱だね」
「全く客観的でないね」
「それはお前だろ」
「何を言っているのか分からない」
「○○ごときが、えらそうな口を叩くな」
「理屈を言うな」

 先の重箱の隅をつつくような議論だね」を含め、上記は文脈があっていれば、そのフレーズが客観的である場合もある。
 よって、一見、客観的な否定にも見えるものであるが、実際は、文脈があっていない、つまり、全くのマト外れの発言にも係らず使用されるので偽客観となる。否定の根拠として成立していないからだ。

 以上、このようにして、「偽客観を取り入れる人」は、自分の意見が否定された時に備え、どんどん、上述のような、相手の意見を否定できるフレーズを取り込み、使用の妥当性を無視して使い回すようになるのである。


(4).「偽客観を取り入れる人」の特徴

 このような、自分のを実現する為に偽客観を取り入れて生きて来た人間は、次のような特徴を持つことになる。
<言行不一致・巧言令色>

  ・・・ 
「自分が立派な人間だと思いたい」というの為に、口先では立派なことを言う。しかし、その言葉で自己満足して終わってしまう為、行動が伴わない。言っていることと行動が矛盾する。



<首尾一貫しない主張>

  ・・・ その都度、自分に都合の良い理由を見つけて来て主張しているだけなので、複数の主張の間で矛盾が生じる。
 例えば、自分が不利な条件の時は
「不公平だ!」と相手を批判し、別の場面では、他人に不公平な条件を平気で押し付けようとする。
 
「公平かどうか」は、本当は自分にとってどうでも良い価値観である。しかし、その価値観を自分の利益を増す為に利用できるなら利用するという、それだけである。


<ブーメラン体質>

 ・・・ 他人への批判が、そのまま返って来て自分に突き刺さる。
 他人を批判するのに都合が良ければ、ルールや常識などを持ち出すが、一方、それらが自分のの実現に都合が悪ければ無視するので、そのようなことになる。


<都合の良い事実は過大評価、都合の悪い事実は過小評価、もしくは無視>

 ・・・ 自分のや都合が第一なので、事実も自分の都合の良いように歪めて捉える。



<情報の信頼性が低い>

  ・・・ 事実を自分に都合良く歪めて捉えるので、その人から伝えられる情報は信頼性が低い。歪曲や隠蔽は頻繁に、時に捏造も行う。


<自分に甘く他人に厳しく>

 ・・・ 
「自分は常識を持った人間だと思いたい」というの為、他人がルールや常識に反した行為をしたら激しく批判し、かつ、その、批判している自分を見て、「ああ、やっぱり、自分は常識を持った人間だ」と自己満足する。一方、自分のの実現の為に都合が悪ければ、「まあ、これくらい、別にいいだろう」と平気でルールや常識を破る。
 自分のや都合が第一なのでそのような結果となる。


「根拠と結論の結び付きが弱い、無い」「根拠と結論のバランスの悪さ」> (※偽客観の特徴)

  ・・・自分に都合の良い結論ならば、根拠脆弱はおろか、根拠として成立していなくてもOK。一方、自分に都合の悪い結論ならば、根拠十分でも認めない。


<「否定には否定」という大雑把な思考レベル>

  ・・・ 客観的に否定されて自分のの実現が阻まれた際、「否定には否定」という大雑把な仕方で自分のを正当化しようとする。
 それは例えば、小学生が
「お前のかあちゃん、デベソ」(否定)と言われて「お前の父ちゃん、ハゲチャビン」(否定)と言い返すようなものである。自分の客観性を培うことより、偽客観を取り込むことを選んで生きて来たが為に、そのような小学生レベルの議論から成長できずにいる。

 ただし、あくまで知識としてはあるが客観的な思考方法も取り入れているので、自分の実現が危機に瀕しない限りは、まともな議論も可能である。


<無責任>

 ・・・ 自分に都合が良いから
「○○であるべきだ」「○○すべきだ」と主張しているだけなので、実際にはそのような主張が本当に正しいと思っているわけではない。よって、その発言に責任を取ることもなく、別の場面では平気で真逆の主張をする。


<攻撃的>

  ・・・ ベースにあるのは自分のや都合で、さらに、その根底にあるのは快・不快という動物的感情である。それらをコントロールできずに振り回されているだけなので、実際の行動も動物的になる。

 具体的には、自分のの実現を阻もうとする人に対しては、怒りでもって威嚇したり、口汚く罵ったり、また、時に、権力、集団の力、暴力などを使用して攻撃をすることもある。

 「偽客観を取り入れる人」の特徴をあげ出すとキリが無いので、これくらいにしておこう。

 このような特徴は、自分のを追求する為に積極的に偽客観を取り込むことに決め、客観であるかのように偽装し、むしろ、望んで主観と客観の区別を付けないことを選択した結果なのである。




 ※(その12)へ続く。



2017.02.07新規

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