インチキ教祖・教団の手口(その11)
※当記事は、(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)(その7)(その8)(その9)(その10)からの続き


7.羊頭狗肉

 羊頭狗肉(ようとう-くにく)とは、次の意味の熟語で、
goo辞書「羊頭狗肉」より
見かけや表面と、実際・実質とが一致しないたとえ。良品に見せかけたり、宣伝は立派だが、実際には粗悪な品を売るたとえ。羊の頭を看板にかけながら、実際は犬の肉を売る意から。▽「狗」は犬。「羊頭を懸かけて狗肉を売る」の略。
外見は良いけど、中身が伴っていないと言う話。

 インチキ霊能者・教団というのは、まさしくコレである。

 
中身が無いから外見を取り繕って飾り立てる。そして、外見を飾り立てて自己満足するから、いつまでたっても中身が伴わない。

 自分では、
これこそが至高の教えだ!」と思って教えを説いても、それで信者たちを幸せにすることも、人格的に向上させることも出来ないのなら、それは「至高の教え」でもなんでもない。

 しかし、そのような事実から信者たちの目を、そして、自分自身の目を逸らす為に、
「至高の教えを説いている人っぽい」外見のみを作り上げて誤魔化し、自己満足するのである。


 以降では、外見のみを飾り立てる手段としてどのようなものがあるのか、具体例を見て行きたい。



(1).巧言令色・美辞麗句

 巧言令色(こうげん-れいしょく)とは、
goo辞書「巧言令色」より
口先だけでうまいことを言ったり、うわべだけ愛想よくとりつくろったりすること。人に媚こびへつらうさま。▽「巧言」は相手が気に入るように巧みに飾られた言葉。「令色」は愛想よくとりつくろった顔色。「令」はよい意。
と言う意味で、羊頭狗肉の言葉・顔色バージョンだと言っていいだろう。

 また、美辞麗句(びじ-れいく)とは、
goo辞書「美辞麗句」より
巧みに美しく飾った言葉。うわべだけ飾った内容の乏しい、また真実味のない言葉の意。▽「辞」は言葉・言語。「麗句」は美しい語句の意。
という意味で、こちらは言葉のみの話である。

 このような巧言令色美辞麗句はインチキ教祖・霊能者たちの得意とするところである。

「私はあなた方信者の皆さんを、我が子のように愛おしく思っています」

「私は適うのなら、あまねく全ての人を救いたいのです」

「私に救いの手を求めてくる者を、私は決して見離しはしません」

○(災害で多くの人が亡くなったら)
「亡くなった人たちのことを思うと、あまりの悲しみに胸が張り裂けそうです」

 教祖の口から出るこのような言葉。本心から出たもので、本当に実行するのなら素晴らしいことだが、もちろん、大抵はそうではなく、このような美辞麗句を口にする自分に酔っているだけの場合が多い。

  
「ああ、こんな言葉を口にする自分は、何て素晴らしい人間なんだろう」と。

 一方、信者たちもこのような美辞麗句に容易に騙され、同じく酔う。

  
「ああ、こんな素晴らしい言葉を口にする教祖様は、何て素晴らしい人間なんだろう」と。

 そうして、美辞麗句と同じく、それっぽいだけで中身のない教義に対しても、

  
「こんな素晴らしい言葉を口にする、素晴らしい人間の教祖様が言ってることだから間違いない」

と直接関連がないにも係らずお墨付きを与えて安心してしまうことになる。


 なお、
「ある人が口にする言葉が本心なのか、そうではないのか」を見分けることはそれほど難しいことではない。 
<本心なら>
行動全体がその言葉で首尾一貫している。

<本心でないなら>
行動全体がその言葉で首尾一貫していない。
 一時的に美辞麗句を語って善人・聖人のフリをしようが、結局は、自分の本心・欲望に従って行動してしまうものだからである。

※本件についてはより詳細に以下の記事で記載しているので、興味ある人はそちらを参照して欲しい。
<偽モノの見分け方>
(その1) 1.建前と隠された本音 2.偽モノ教祖の矛盾した行動例
(その2) 3.偽モノ教祖の矛盾した行動例 4.欲にまみれた偽モノ教祖
(その3) 5.欲にまみれた信者たち 6.偽モノを見分ける方法
(その4) 7.偽モノを見分ける方法(ポイントを絞った検証方法)
(その5) 7.自分自身が本モノになること





 ※(その12)に続く。



2015.10.20新規

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