考えることとは(その2)
※当記事は(その1)からの続き。


 
「まともに考えることができない人」は具体的にどのように考えるから、まともに考えることが出来ないのか。

 当記事ではその点について、(その1)で使用した
「あるなしクイズ」を用いて見て行きたい。
<あるなしクイズ>
《ある》 《ない》
(1) 都会 田舎
(2) 麻酔 注射
(3) 痛い 快い
(4)
(5) 船着場


2.「まともに考えることができない人」の考え方

 「まともに考えることができない人」。それは、思考において次のような過ちを犯している。



(1).条件を満たしていないのに満たしていると勘違いする

 上記「あるなしクイズ」で言えば、例えば
「『ある』側は全てひらがなが答えだ」と主張するような場合。

 もちろん、これは明らかに誤りで、このクイズでそのような主張をする人はいないだろう。

 しかし、現実では、このような
「条件を満たしていないのに満たしていると勘違いする」場合、言い換えれば、「根拠となっていないものを根拠とする」場合は多々見受けられるものである。

 具体例としては、以下の記事に記載したので、そちらを参照して欲しい。
<もっともらしいだけの根拠>
(その1) 言葉遊びによる根拠 
(その2) 連想ゲームによる根拠 
(その3) 部分抽出による根拠 
(その4) 体験談による根拠
(その5) 未実証の根拠 
(その6) もっともらしいだけの予言(1)
(その7) もっともらしいだけの予言(2)
(その8) 曖昧な条件付きの成就
(その9) 誤った二分法(1)
(その10) 誤った二分法(2)
(その11) 誤った二分法(3)
(その12) 誤った二分法(4)
(その13) 誤った二分法(5)
(その14) 誤った二分法(6)
(その15) 言葉遊びによる根拠U(1)
(その16) 言葉遊びによる根拠U(2)
(その17) 言葉遊びによる根拠U(3)
(その18) 言葉遊びによる根拠U(4)
(その19) 言葉遊びによる根拠U(5)
(その20) 言葉遊びによる根拠U(6)



(2).全ての条件を満たしていないのに、満たしていると勘違いする

 例えば、上記
「あるなしクイズ」「『ある』側が全て『イ』で終わっているが答えだ」と主張する場合。

 この解答は、次の点で全ての条件を満たしていない。
@.《ある》側の(5)「船着場」「イ」で終わっていない。
A.《ない》側の(3)
「快い」と(4)「愛」「イ」で終わっている。
 よって正解ではないのだが、よく検証せずに「正解だ!」と思い込んでしまうケースである。

 そして、この誤った主張に対して、条件を満たしていないことを指摘すると、次のように
条件を都合良く歪めて誤りを認めないことがある。



(3).条件を都合の良いように歪める
(4).誤りを認めない

 例えば、上記指摘の@Aのそれぞれに対して次のように反論する場合である。
<@に対する反論> B.(5)「船着場」は、問題作成者が誤って作成したものだ!

<Aに対する反論> C.この問題は、《ある》側の条件さえ満たせば、《ない》側など無視していいんだ!
 @は、問題の条件の内、都合の悪い条件を無かったことにしてしまうもので、かつ、自分のせいじゃなくて問題作成者のせいにしてしまうもの。Aは、問題の前提条件を自分に都合良く歪めてしまうものである。

 なお、原因を自分以外に求める、端的に言えば「人のせいにする」のも、「まともに考えることができない人」の特徴である。

 また、指摘に対する反論としては他にも、次のようなものが考えられるだろう。
<@に対する反論> C.(5)「船着場」「場」には「土」という文字が含まれていて、これはローマ字にすると「tsuti」であり最後は「i」「イ」だ!

<@に対する反論> D.(1)〜(4)まで合っているということは80%合っていることになる。これはほぼ正解と言っていいものだ!
 自分の誤りを認めたくない人というのは本当に必死になって、認めなくていい理由を探し出す。

 Cまで行けば、
「よくそんなこと思い付いたな」と逆に感心してしまいそうになるが、「《ない》側の(3)『快い』と(4)『愛』も『イ』で終わっている」っているのだから、無駄なあがきである。

 また、Dは、全ての条件を満たす必要があるのだら、80%合っていようが不正解は不正解で、ただの屁理屈である。


 このように、自分の誤りを認めない人というのは、
自分の欲や都合によって物事を判断する人と言え、言い換えれば、「答えありき」で物事を考える人だと言える。



(5).自分の欲や都合によって判断する(「答えありき」で考える)

 クイズの場合だと、スタート時点では正解が何であれ、それに関する都合は存在しないのだが、一度、「これが正解だ!」というものを提示してしまうと、あるケースでは都合が発生してしまうことになる。

 そのケースとは例えば、先に見たように、正解だと主張したものが誤っていた場合であり、その際には次のような都合が生じる。
○誤りを認めたくない
 そして、この欲に従って、「『ある』側が全て『イ』で終わっているが答えだ」という「答えありき」で考えた結果、先述した、「条件を都合の良いように歪める」ということがなされることになる。


 また、クイズではなく、現実の問題の場合には、より密接に自分の都合と関係してくるケースがある。そして、その際、
「まともに考えることができない人」は、自分に都合の良い結論を出し、かつ、その結論を必死に主張・保持するようになる。

 なお、「まともに考えることができない人」も、上述のような無理な正当化が、正当化に失敗していることを分からないわけではない。

 自分の都合とは関係のない所で他人が同様の主張すれば、当然、否定し、時に嘲笑する。

 そして、そのような主張を自分自身が行ってしまうのは、
欲で目が曇っていて自分自身のことが見えていないからである。
<参考>欲で目が曇って、「答えありき」で物事を考える人については次の記事で詳述した。
○記事「目の中の梁 〜『欲』によって自らの目を曇らせる人達〜

 さらに、
「まともに考えることができない人」の特徴としては、そもそも論として、次のように自分で考えない場合がある。


(6).自分で考えない

 例えば、「皆がそう言っているから」「Aさんがそう言っているから」等という理由で、正解を決めてしまう場合で、このケースでは自分自身では正解を考えていない。

 これら2つの理由は、先に説明した
「根拠になっていない根拠」とも言える。もし、「皆がそう言っているから」正しいのなら、ガリレオが地動説を唱えた時には、天動説が真実になってしまう。

 大切なのは、何故、
「皆がそう言っている」のか、また、何故、「Aさんがそう言っている」のか、という根拠の部分であり、「皆がそう言っているから」「Aさんがそう言っているから」というのは参考情報にはなっても、根拠にはならないのである。


 ちなみに、このような「自分で考えない」タイプがインチキ宗教に接触すると非常に危険である。そのインチキ宗教内にいると信者たちの次のような声に頻繁に触れることになる。
○この教祖様こそ本物だ!
○教祖様の霊能力はすごい!
○教祖様の教えは素晴らしい!

○この教団こそ、我々を真の幸福へと導いてくれる!
○この教団の信者を増やし、教えを広めることが、神様の、そして、世の中の役に立つことだ!
 このような、教祖や教団を全肯定する意見の中にいると、「自分で考えない」タイプは、漠然とそれらの意見が正しいような気になってしまう。皆がそう言っているからである。

 そして、やがて完全にその教団の色に染まり、他の信者と同様の意見を自らも発するようになってしまうことになる。




 クイズを解くにあたっては、「まともに考えることができない人」の思考の特徴をあげれば以上である。

 しかし、(その1)で述べたようにクイズを解く時と現実の物事を考察する時とでは異なる点があるので、その際には他に次のような特徴を持つことになる。


(7).必要な条件の抽出を怠る

 現実の物事を考察する際、必要な全ての条件を列挙できない時があるのは、やむを得ないと言える。

 しかし、
「まともに考えることができない人」は、半ば意図的に、もしくは、無意識に必要な条件の抽出を怠る。何故なら、先に述べたように、自分の欲や都合にしたがって「答えありき」で物事を考えるからである。

 「まともに考えることができない人」は、最初に自分の欲や都合に従って結論を決める。

 そして、結論を決めてから、その結論に都合の良い条件のみを収集して、めでたく自分に都合の良い結論が正当化できると思考を終了するのである。





 以上、ここであげた点に気をつけ、守れているなら、あなたはまともに考えられる人である。

 一方、これらの特徴を持っているのなら、「まともに考えることができない人」である。

 とは言っても、「まともに考えることができない人」は、
「自分が、まともに考えられる人だと思いたい」というで判断するので、次のように考察して、
@.「答えありき」で考え自分の都合や欲に従って判断して、結論を出す

   ・・・ 結論決定 : 
「自分は、まともに考えられる人だ」

A.必要な条件の抽出を怠り、条件を都合の良いように歪めて正当化

 <抽出する条件>
   ・自分が、まともに考えられた時のこと
    (言い換えれば、自分の都合や欲と関係ない問題を考察した時のこと)
   ・他人がまともに考えられていない様子を見て、批判した時のこと

 <抽出しない条件(無視する条件)>
   ・自分がまともに考えられなかった時のこと
  
もしくは、
 <抽出するが、条件を都合良く歪める>
   ・あの時は、自分がまともに考えられなかったわけではない。
    あれが正しい判断なんだ!

  → 最初に出した結論の正当化に成功

B.結論 : 「自分は、まともに考えられる人だ」
「自分は、まともに考えられる人だ!」と結論づけてしまうことになる。そして、他から、まともに考えられていないことを指摘されても、
誤りを認めない
 よって、「まともに考えることができない人」は、「まともに考えることができない人」であり続けることになる。


 
まともに考えることができるか否かは、結局のところ、「如何に自分の欲や都合から離れて物事を考えられるか」により、別の言い方をすれば、「事実に対してどれほど誠実か」によっているのである。




2015.07.14新規

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